「森林(もり)の恵み展」やそいちの思い

今年で38回目を無事迎えることのできた「綾工芸まつり」。
その中で、私が提案し今年までで3回開催した企画展があります。
森林(もり)の恵み展」と題して、これまでの綾町の工芸の取り組みと、照葉樹林文化との関連を内外に広く知っていただこうとしたものです。

そこで私の記した文章を、ここに保存しておきたいと思います。

「森林の恵み展」によせて

「自然との共生を図るための森の文化の担い手」としての綾の工芸。それは既存の伝統産業の成り立ちとはまったく違う形で、「工芸村」の発生で始まりました。

以来、約40年。その間、綾町では工芸関係に予算が組まれています。これは工芸が伝統産業として根付いている地域を別とすれば、全国的にも珍しい取り組みです。この背景には、「工芸は森の文化の担い手である」という想いが、工芸家だけでなく綾町民の間に育っているからといえるでしょう。

40年前、「森を守ったことを文化レベルにする」と綾町は未来を見据えました。そのひとつが自然生態系農業の推進であり、またひとつが手作り工芸の誘致育成でした。

”文化レベル”とは、「町民の暮らしに深く根付かせ、当たり前にする」ということ。森につながる工芸が日常にあれば、普段から森を意識し、自然保護につながると考えたのです。この精神は今も受け継がれ、森を守ったことだけでなく、町民の意識、それを支える地道で総合的な取り組みが、対外的に高い評価を得て、2012年のユネスコエコパーク認定にも繋がりました。

綾の工芸は有機農業などとがっぷり組み合わさってこそ、世界へアピールできると私たちは考えています。有機農業が手間のかかる農業であるように、手作りの工芸品も手間暇がかかります。
それは、大量生産大量消費とは次元の違う志。

”ていねいにほんものをつくる”という綾町のスピリットを具現化したものにほかなりません。

この「森の恵み展」は、そのような思いの込もった工芸家たちの作品の一部です。

工芸まつりに関わる工芸家は、これからも「森の文化の担い手」を自覚し、森への、綾への感謝と思いを持って、日々作家活動に精進してまいります。

以下、過去3回の出品作品の説明文です。

 

第1回出品作品「炭化焼き〆水差

唐津に修行に行くと覚悟を決めたときから、宮崎に帰って陶芸をするからには、宮崎の材料、特に土を使ってみたいと考えていました。19年前に現在地にて独立した際、幸いにも敷地の裏山から赤土が出土しました。さっそく試験をしてみると、ある程度想定内でしたが器にするには少々耐火度が低いものでした。しかし、釉薬に使えるのではないか、と試して完成したのがオリジナルの釉薬「青亜椰(あおあや)釉」と「黄亜椰(きあや)釉」です。どちらも、独特の風合いを持つ、“宮崎の焼き物”であると自負しています。

今回、この「森林の恵み展」に出展するのは、その赤土を7割ほど使った「炭化焼き〆」の水差しです。これは竹炭と籾殻の中に埋め込んで、1200度ほどで長時間焼き締めています。

綾町に来て感じたのは、やはりなんと言っても「照葉樹林の奥深さ」です。綾の森は日本最大級の照葉樹林ですが地図でみるとほんの僅かな面積にすぎません。実のところ、その最新部に行くことはそんなに困難なものではありません。奥深いと感じるのは、学生の頃に日本アルプスをはじめ各地の山を登り、またはサイクリングで旅をし、ある時にはカヌーで四万十川を下った経験から、日本からほとんど失くなってしまった「怖くなるくらいの」野性味のことです。

そんな森への畏怖とともに、豊かな水(これがまた美味い!)の恩恵を受けながら作陶を続けられる機会を得られたことに、感謝を感じない日はありません。

本来、伝統のない綾の地で工芸を誘致し、持続してきた先達方の志を受け継ぎ、また次代に引き継いでいく。これはこの地で工芸で生計を立てるものの責任だと、個人的には考えています。

なぜ綾で焼き物をする必要があるのか。なんのために綾で、焼き物をしているのか。

独立するときから今に至るまで、この問いに向き合う日々が続いています。

八十一拝

第2回出品作品「黄亜椰茶碗

黄亜椰(きあや)釉は自宅裏の赤土を原料としたオリジナルの釉薬です。独立当初から「宮崎の焼き物」をテーマに仕事をしてきました。地元の材料を使う、というのはその一環です。

「宮崎の」「綾の」と言ったときに、単に材料を使うということにとどまりません。作品としての質が一番重要であります。それはどれだけ「宮崎」「綾」を意識して仕事をし、普段の生活を送る、その延長にあります。

綾町は「森を切ってお金に換えることよりも、それを保護すること」を選択し、そしてそれを町興しの骨格としてきました。

陶芸だけでなく、工芸はもともとの綾の伝統産業ではありませんでした。しかし先人たちは森林を守っただけではなく、その「照葉樹林文化の担い手」として手作り工芸を誘致しました。それは当然ながら「森林を守った先にあるもの」を見据えてのことだったわけです。

綾の取り組みが評価されたのは、それが環境問題への小さな波紋だったからです。際限なく拡大する消費社会に対しての、危機感の現れとしての世間の評価ではないでしょうか。そして環境問題とは詰まるところは経済問題です。
ユネスコエコパークの理念は「自然との共生社会」です。持続的な社会を創り出していくためには、環境問題を経済問題として捉え直さなくてはなりません。

この「森林(もり)の恵み展」はその森と我々工芸社の関係を皆様に感じていただくための企画です。お客様だけでなく、今一度自分たちも「なぜ綾で工芸をやるのか」を省みる機会でもあります。もう直ぐ40周年を迎えようとする「綾工芸まつり」とはいかにあるべきか。綾の工芸の理想とする姿とはなんなのか。「本当に大事なもの」とはなんなのか。

普段の生活、もちろんそれは世間の流れとは無関係にはいられないのですが、「森を切ってお金に換えることよりも、それを保護したこと」が何を意味するのか、その先はどうなっていくべきなのか、私たちはより一層真剣に問い続ける必要があります。

そしてその最前線にいるのが、我々綾の工芸者であると考えています。

 

第3回出品作品「青亜椰浅鉢

「炭化焼き〆花器」

「黄亜椰ドラ鉢」

青亜椰(あおあや)釉は自宅裏の赤土を原料としたオリジナルの釉薬です。実は「黄亜椰釉」と同じものです。黄亜椰が酸化焼成であるのに対して、青亜椰は還元焼成になります。土の中の鉄分の状態を変えることで、色を変えているのです。

「宮崎の」「綾の」と言ったときに、単に材料を使うということにとどまりません。作品としての質が一番重要であります。それはどれだけ「宮崎」「綾」を意識して仕事をし、普段の生活を送る、その延長にあります。

この「青亜椰浅鉢」は、蹴ろくろの技術の粋を集めたものです。高台はほぼ「ろくろ挽きっぱなし」です。ほとんど削りをしていません。つまりろくろを挽いた段階で既に完成されている、ということです。また、ろくろはお碗型よりも皿、平たいもののほうが技術的には難しいものです。もちろん、大きくなればなるほど、困難になります。

加えて、磁器土やこの白薩摩土の様にきめの細かい土の場合、いわゆる「腰が弱い」ものであり、薄く挽くことは技術的に相当に高等な技が要求されるのです。

「何を作るのか」だけでなく、我々は「なぜ」自分の手でものを作って売るのか、という物語(動機)、それも強烈な物語がなければ、人口も経済も縮小段階に入った社会においては続けていくことはできないでしょう。加えて言うならば、「なぜそれが綾という土地なのか」ということも必要です。

綾の工芸が「本物」として全国に認知されるための道のりは、まだまだ遠いものでしょう。しかし、本当に「いいもの」を作り続け、それに見合った生活を送っていれば、必ずその日は訪れると信じています。工芸は、決して綾の基幹産業ではありません。他にもご自分で商売、生業をされている方はたくさんいらっしゃいます。その中で「特別な仕事」にしていくことが求められるているのだと考えています。

 

残念ながら、この「森林の恵み展」は今年で一つの区切りになるでしょう。
しかし、綾工芸まつりでこの企画が行われなくなったとしても、私の志の炎が消えることは決してありません。

 

 

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