06.12種子島滞在記vol.1

突然の先生からのお電話より、思いもかけず種子島に渡ることになった昨年末。
35年前に僕の焼き物の師匠、中里隆 先生が“種子島焼”を小山富士夫先生の勧めによって再興され、古稀を迎えられた今、再び種子島で作陶されているとのこと。
師匠の原点回帰、そこに居合わす幸運。その貴重な体験を記憶の新しいうちにここに記しておこうと思う。

先生よりお電話いただいたのは、平成18年12月11日の夜のこと。僕は山形屋美術画廊での個展を開催中で、その晩は山形屋さんの忘年会にお誘いいただき、座が盛り上がっていたところ、母から電話で連絡を受けた。
13日に改めてお電話すると、現在種子島に居られ、年末に窯焚きをするから手伝って欲しいとのこと。僕は二つ返事で伺うことをお約束した。

23日早朝6時に自宅を出、宮交シティ6:30発の鹿児島行き高速バスに乗り込む。
9時過ぎに天文館に着き、鹿児島港北埠頭に向かう。
ここより、種子島・屋久島行き高速船トッピーに乗り込む。

高速船初体験だったのだが、そのスピードに驚いた。
天気は快晴。海は凪いでいる。途中、イルカの群れに出会う。
鹿児島よりおよそ1時間30分、11時半に西之表港に到着。
種子島窯の若女将、野口環さんに出迎えていただく。

早速窯の方へ案内していただき、現当主野口悦士さんとご挨拶。先生はいったん唐津へお帰りになり、26日に再び種子島に来られるとのことだった。
お昼を頂くと、早速窯詰め作業へ。
ところが、僕が熱を出して寝込んでいた時期と同じくして野口さんも点滴を打ちに行っていたとのこと。
窯詰めが予定より大幅に遅れ、薪割りも危うい、という状況だった。

とにかく、火入れは24日の夜にしなくてはならない(窯出しの予定が1月4日が期限のため)ので、大急ぎで作業に入った。


窯の内部。


種子島焼独特の蛇窯。


焚き口。


焚き口より、内部を覗く。窯の中は高さも幅も狭く、床に座り込んでの作業を余儀なくされる。

24日夕方、なんとか窯詰め作業を終え、火を入れる。

これから丸二日をかけて、じっくりと焙りの工程に入って行く。


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