粘土冥利

昨日の記事に対していただいてコメントの中に「粘土冥利」という言葉がありました。

コメントくださった方は焼き物関連の方ではなく、しかし普段土と向き合ってお仕事をされている方です。

粘土冥利とはいったいなんでしょうか?

粘土は、何千万年という長い時間、高圧で圧縮されることによって生成されるそうです。

いずれにしても私たちの使っている陶土のおおかたは、花崗岩の風化した粘土といってもよいでしょう。花崗岩はマグマが吹き上がって来て、それが地球の内部で、ゆっくりと冷え固まったもので、火成岩の中では深成岩とか半深成岩に属するものです。
(中略)
地殻の変動によって、地中の岩石が押し出されて外に出たものといえます。その押し出されるときに受ける巨大な圧力によって、岩石がもろくなり、それが地表に出て風化されやすい条件になるという学者もいます。
(中略)
あるいは地下深くから湧き上がって来た強い酸性の熱水や温泉水も岩石を変質して土化させます。
(中略)
もっと模式的にいえば、磁器の土の陶石やカオリンは、岩石がその場所で風化して土化したものであり、陶器の土である蛙目粘土は、岩石が風化して早い速度で水に流されて、未風化の石粒を残して堆積した土で、また木節粘土は樹木を巻き込んで堆積して、その樹木が腐食した土といえます。?器の土はさらに遠くに風や水に流されて細かく水漉しされて沈積し、他の粘土より鉄分の他の不純物を多く含んだ土といえましょう。

(陶芸の土と窯焼き/大西政太郎 より)

何とも悠久のロマンを感じさせる物語ですね。

この様に、身近に触れることの出来る粘土ではありますが、実は粘土であれば何でも焼き物に使える訳ではなく、その中でも耐火性に優れてなおかつ成形出来るだけの可塑性を持ったものでなければなりません。

そのような、実用的な陶器を作るために適した粘土が安定して採れる土地、そこが現在焼き物のまちとして知られている訳です。

ところで私が暮らしている宮崎県綾町。
取り立てて昔から焼き物のまち、という訳ではありません。
なぜなら、陶器に適した粘土が採れないからです。

ではなぜ私はここで作陶しているのか?

私が修行した唐津・有田というところは、ご存知の通り日本でも有数の焼き物の里です。
私も唐津を目指したのは、唐津焼の魅力に惹かれ、そして中里隆 先生に惹かれたためです。
しかし、あえてその名産地での独立をすることを選びませんでした。

唐津であれば、焼き物好きな観光客の方も大勢来られますし、何より都会のギャラリーさんなどが若手の作家を発掘しようと買い付けに来られます。

しかし、宮崎で焼き物しているものがいると誰が思うでしょうか?
実際、中里先生にも宮崎に帰って独立するつもりですというお話をさせていただいたときには、半ばあきれられ、半ば心配していただきました。

私は宮崎生まれの宮崎育ちです。
いうならば、宮崎のことならよく知っています。
しかし、唐津のことはまだまだ、知らないことが多いのです。
そんな人間に、唐津生まれの唐津育ちの、例えば窯元の2代目3代目さんと太刀打ち出来るでしょうか?

ものというのは、よくも悪くも作者を反映させています。
それは、作者の作為はもちろん、無意識をも表しています。
本物の唐津焼を作るためには、本物の唐津人にならなけばならない。
そう思っています。

人生は長いようで短いものです。
私の人生の限られた時間の中で、私だけのオリジナルのものを作ろうとした時、唐津人になり、唐津焼を作ることよりも、焼き物を職業とするには有利とは言えない宮崎でする方がいいのではないか、と考えました。

もちろん、土の問題があります。
宮崎の土が使えないか、調べたところ全くない訳ではありませんでした。
とりわけ、縄文土器は多数発掘される土地柄で、県内主に南部には大規模な瓦粘土採掘場もありました。
私が住む宮原地区の隣、国富町森永地区にも粘土工場があります。そこはうちから直線距離では500メートルほどでしょうか。
杉山を切り崩して立てられたうちの裏山には、赤土の層が露出しています。
鉄分と砂の多い粘土です。
この土を用いて、炭化焼き〆の器を作ってもいます(ただし、耐火度が低いため3割ほど耐火度の高い土を混ぜています)。これは、おいおい隆太窯の様な南蛮焼をしたいと思っています。

またそれだけでなく、この赤土を釉薬の原料として、「青亜椰」「黄亜椰」というオリジナルの釉薬を開発しました。

もちろん、私がメインで使用している土は薩摩焼で用いられている「白さつま」の土であり、これは鹿児島の業者さんから購入したものです。
このことは、陶土の産地でしか出来なかった昔とは違う点です。現在の高度に発達した流通システムがなければできないことです。

ということは、元々焼き物に適さない宮崎で作陶出来るのは、今現在だけかもしれません。
歴史の中で、宮崎の焼き物が出現するのは一瞬のことかもしれません。

これは、今、宮崎で作陶する意義として、時代性を現すものではないでしょうか。

気の遠くなる様な時間と強大な自然のエネルギーを掛けて作られた粘土と、この現代でこの場所で作陶出来るということ。
このように考えれば、私の仕事も軽々しくは考えられません。
その責任を考えない訳にはいかないでしょう。

粘土を無駄には出来ない、誠心誠意を込めて作陶しなければならない。

私が考える「粘土冥利」とは、こういうことです。


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