「話を聞く」ということ。

嵐の大晦日の、夜。

今年は人の話を聞く機会が多かった。
話を聞く、と言っても講演会ももちろんあったが、友人の話をとにかく聞く、ということが多かったように思う。

人が迷っていたり悩んでいたり、袋小路に陥っている時には話を聞いてもらう、ということがとりあえず心の余裕を作るためには有効だ。
その、受け手に廻ることが多かった。

話を聞くということは、相手と同化し、その苦しみの幾分かを負担することだと思う。
それには心身ともに非常に負担がある。
ぐったり疲れたり、あるいは猛烈な眠気に襲われたりする。
もちろん、こちらに受け止める余裕が無いと出来ないことだ。

僕にも、誰かが話を聴いてくれたなら、あの時もう少し楽だったのに、と思う時期もある。
僕自身は、ある程度自己解決して来た、と思う。(もちろん、有形無形に関わらずいろんな方のお世話になって来ているのも間違いないが)
だから、そんな時の苦しさが少しは分かる年齢になって来たのかな、とも思う。
それで相手が次のステップに踏み出せる手助けが出来れば、言うことは無い。

しかし、それはほんの少し、肩代わりしているだけに過ぎないのだから、結局は本人が解決して行かなければいけないことに変わりはない。
本当にいっぱいいっぱいの時には、その余裕すらない。その余裕を少しだけ作ることが出来れば、なんとかやって行ける。
そのことは忘れないでほしい。
甘えるだけでは、前には進めない。

そして、次にこのバトンを受け渡してほしいとも思う。
いつか、その迷路を抜け出した時、後ろから来ている迷い人の、小さな明かりになってほしい。

今年も皆様にはいろいろとお世話になりました。
来る年も、よろしくお願いいたします。

さて、明日は元旦。
天気が良ければ、例年通り綾神社に初詣に行こう。
それから、書き初めでもするかな(^_-)

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