訃報:大賀サチ先生

14日、高千穂の葬式から帰宅し、夕食をかき込んで商工会青年部の定例会へ出かけました。

その日は割合早くに会を終え、21時には自宅で事務仕事をしていました。
すると、表千家大賀社中でご一緒させていただいているKさんから電話が。

その日、大賀サチ先生がお亡くなりになったということ。

驚きました。
半年前の夏、米寿のお祝いの茶会でもお元気だった先生がしばらく前にケアセンターにご入所されており、初めてお訪ねしました。
思いのほかお元気で、早くご自宅に帰りたいとおっしゃられていました。
近いうちにご挨拶に行きたいな、と考えていた矢先のことでした。

先生とのご縁は、僕の叔母からの紹介でした。
叔母のご友人のお母様、ということから前々からお茶を習いたい、といっていた僕に行ってみたら、と勧めてくれたのです。
叔母自身は裏千家をしていたのですが。

訊くと、大賀先生の娘さんとは幼馴染だとか。
ということは、高千穂は田原のご出身ということです。
僕は高千穂に実際に住んだことはないのですが、第二の故郷と言っても過言ではないほど幼い頃から馴染みの土地です。
宮崎の表千家で、男性のお弟子さんが少ないこともあって(お茶の世界は元々は男の嗜みであるため)非常にかわいがって頂きました。
お孫さんとも歳が近かったこともあったのでしょう。

基本に厳しく、しかしお稽古中でもユーモアを忘れずに楽しくお稽古をさせていただきました。

大正3年生まれの享年95歳でした。僕の祖母の3歳年下になります。21歳でご結婚され、23歳でご主人を戦争でなくされ女手一つで娘さんを教職の傍らお育てになったそうです。
ご定年後は、お茶の師範としてご活躍され、僕がお世話になった時分では、県下の表千家では知らない人はいない存在でした。

その時で既に80は越えられていましたが、宮崎神宮にほど近いご自宅で、お一人でもちろん自炊もされお住まいでした。
初めてお会いしたとき本当に、そのお元気なご様子にびっくりしたことを良く覚えています。

棺に納められた、先生のお姿。
お世辞抜きに、お綺麗でした。

奇しくも、先週妹さんである馬場先生もお亡くなりになったということは葬儀の場でお訊きしました。

大賀先生、本当にありがとうございました。
安らかに、お休みください。


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