白さつま叩き文板皿物語〜タカシの場合

今日も残業か・・・

タカシは凝り固まった肩を二、三度ぐるぐると回した。
強く目頭を抑え、ふぅっと深く息をつく。

東京に出てきて、20年以上が経つ。
ソフトエンジニアの仕事は毎日が戦場のようであり、息つく暇もない。残業が日課となり当たり前のようになって、どれくらいになるだろう。残業代?そうだな。

父親とは折り合いが悪かった。
なんでも流行に乗っかり、その度に仕事を変え家族を振り回してきた父フミタカが大嫌いだった。
「誰が食わせてやってるんだ」と言われるたびに、机の下で拳を握りしめた。高校卒業が待ちきれず、上京した。その後、10年以上実家のある佐賀には足を運ばなかった。

さすがに実家には帰るようになったが、それでも2年に一度の頻度だった。
ある年、夏の盛りに帰省すると、流行りが好きなフミタカは今度はブルーベリー栽培に手を出していた。
「あまり手がかからなくていい」と始めたが、すぐに周りにもブルーベリー栽培が広まり、程なく近県の道の駅に行けばどこでも見られるようになった。流行も5年ほどだった。

IMG_6621「なんでもすぐに飛びついて、どうすんだよ」「なあに、この歳になると畑仕事が一番だ。どうにかなる」

そうやって楽観的にできたのも、経済成長できた時代だったからであって、そんな悠長な考えは今の時代には通用しないぜ。
オヤジの考えは昔は正義でも、今はそうじゃない。

確かに、俺たちの頃はイケイケどんどんで、借金しても何とかなったもんだ。今は金余りとかいうが、銀行はちっとも貸してくれねえ。まあ、借りたところで返すあてもない。
結局、何をしてきたのだろう?と今になって思うことはある。自分の借金は返せても、それはお前や他の若者に、社会の借金をそのまま渡しただけじゃないのか?って。
俺たちは、雀の涙とは言え、年金がまだもらえるがな。

その日は珍しく父子で酒を飲んだ。生まれて初めて、父親と一人の男として会話した。
次の日、両親のブルーベリー摘みを手伝った。

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ブルーベリーは房で実が生るものの、ぶどうのように一緒には熟れない。そのため、収穫には少々手間がいる。折り重なった枝や葉をかき分け、熟れた実だけを選んで摘まなくてはならない。
年老いてきた両親にとっては、体力をそんなに使わなくとも、姿勢に無理がある。
無心にちぎっていると、タカシはブルーベリーは日当たりが重要だが、適度な日陰もいるらしい、下側の枝から実は熟れる、ということに気付いた。大きくて重い実が甘みも強いのだが、直射日光が当たる所よりも葉の影だったり、他の木の陰になっている部分にそういう実は多かった。
半日終える頃には、フミタカよりも多く摘んでいた。
タカシのカゴをちらっと見ただけで通り過ぎたフミタカだが、心なしか口元が緩んでいたようにも見えた。

白さつま叩き文板皿

白さつま叩き文板皿

おやつ代わりに摘みたてのブルーベリーを口に運びながら、フミタカが呟いた。

それが当たり前と思っていると、それが違うと分かった時に辛い思いをする。前提が崩れちまう。
無難に会社勤めし定年した連中はいいだろうが、ずっと好きにやってきた俺は違った。今、会社勤めも大変だろうが、自由にやろうしている若い連中は本当に大変だろう。
こんな田舎で草や木や虫たちと暮らしていると、心の底からありがたい、と思えるようになってきたよ。
普通に、朝起きたらお天道様が上って鳥が鳴き、草にツユが落ちる。
当たり前じゃねんだよなあ。有難いよなあ、って。
震災の後、そんなことばかり考えるよ。

そのフミタカも2年前に鬼籍に入った。
あの夏の日を思い出しながら、タカシは都会の眠らない夜を見つめていた。

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(これはフィクションです)

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