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チビート・トラバース2015 IN 九州中央山地&九重連山 7日目〜最終日

8月1日。この日も霧の朝でした。

前日のKすけさんからの情報では、馬美原から西米良まで車で2時間はかかるよ、と言うことでしたので自転車なら6時間かな、とあたりをつける。地図では60kmくらいかなあ?
ちなみに平地では自動車の2倍の時間が目安です。
花火大会ということで、キャンプ場も空いているのか心配、交通規制もあるし早めに着きたいところ。遅くとも15時までには着きたい。

ということで6時出立に。4時起床。
体調は良いようです。筋肉痛もなし。が、疲労は確実に溜まっているので、ちょっとした登りでも体が重くなるはず。
これから最初の関門は、椎葉に抜ける国見トンネル。
昨年通った国見峠に比べれば全然楽勝なはず、なんですが今はちょっと確信が持てない。
椎葉までにどれだけ体力を温存できるか、が鍵です。

なんて大げさに書いていますが、マジでこの時は必死でした(笑)
とにかく、今日さえ乗り切れば自力で帰れる、と。

6時過ぎに出立。R265を一路椎葉を目指します。 五ヶ瀬町鞍岡本屋敷にて休憩。 そこからしばらく行くと、1年前に峠から下って来た道が。7:30 ここからは長いトンネルです。時間が早かったのが幸いして、車も少なく通り抜けました。 トンネルを抜けたら、椎葉の中心部までは下りです。 風土野峠への道。去年この道から椎葉の町へ入りました。8:45「椎葉山の語り部」到着。中瀬さんのお母さんに1年ぶりにご挨拶。 美味しいお蕎麦をいただきました。「お腹スクでしょ〜」と、トーストもいただきました。 このトーストに蜂蜜を塗っていただいたのですが、これがまた旨い!!椎葉の蜂蜜、只者ではない!ごっつあんでした(^_-)ありがとうございました。ここまで、とても順調。思ったより余力も残っていますし、時間も早い。だいぶ気持ち的に楽になりました。 45分ほどお話しさせていただき、出発。

椎葉ダムを下から望む。このアングルは初めてだなあ。

さてここからが最後の山場。 当初の予定ではR265を進み、飯干峠(1,050m)を越えるつもりでしたが長雨で崩落通行止め。 Kすけさんの勧めにより、生活道路として使われている村道大河内桑の木原線を行くことに。 Kすけさん曰く「あれを自転車はどうかなー」 と言われても、他に道がないんです(笑)ダムを過ぎてしばらく行くと、R265から分かれて山へと入っていきます。

この道はもちろん初めて。地図ではR265に比べ距離は短いとは言え、それだけに山越えも厳しいだろう、とは覚悟していました。
が、自転車乗りの間では椎葉の山越えは有名ですが(1400m越えの椎矢峠始め、風土野峠、国見峠、飯干峠)この道は聞いたことがない。

いったい、どんなだ?

と不安を抱きつつも、結構登ってきました。10:30
下に見えるのは椎葉の町ではありませんよ。椎葉の町は右手の奥の尾根の向こう側です。

九十九折りの急登を登ると、「春の平」というバス停が。
地名から峠も近いのか、と思いますがまだ3分の1ほどです。

そこから15分ほど進むと、水場がありました。う、嬉しい!
既に汗だくの体に、頭から水を浴びます。美味い・・・

しばし、ヴァーチャル峠越えをお楽しみください。

11:25、ようやく峠にとうちゃこ。がんばりました〜!
峠には「山どり尾峠」の道標が。聞いたことない・・・
ルートラボによると標高は1,082m。飯干峠より高い。
「健脚向けコース」として有名な風土野峠よりきつかったです。

しかし、よく登ったなあ。自分を褒めてやりたい(笑)
必死だったからでしょう。

峠からは西米良村村所まで豪快な下りです。
下る、というより落ちる(笑)
椎葉から峠まで2時間。峠から西米良村村所まで1時間10分。
下りも思いの外時間がかかったのは、この日は午前中から気温が高く、谷を登る上昇気流が激しかった(ようするに向かい風)からです。
これはひと降り来るなー、と思っていたら案の定花火直前に小一時間ほどの雷雨がありました。

飯干峠、湯前への別れに出てきました。

12時半、“米良のオヤジさん”Kすけさん宅に到着。
おむすびをご馳走になりました。身に沁みる美味しさ(^_-)
西米良名物ほおずきをお土産にいただきました。今年はとても立派にできたと言われてましたよ!

この日は花火大会。御神輿も。

Kすけさんのところには、息子さんたちやお友達やら、たくさんのお客様が。「もー、どこまで親戚やら友達やら、分からん」とKすけさん自身が言われていました(笑)お人柄でしょう。
僕もそんなKすけさんにいつも甘えさせていただいています。

ところでテントを張るところを探したのですが、多いときは2万人位来る、というこの日。キャンプ場もいっぱいで、作業場でよければ、というKすけさんのお言葉に甘えて宿も提供いただきました。ありがとうございました。

花火は19時から、ということで「かりこボーズの湯」に。この温泉、好きなんですよね〜ちょっとぬるめで。
お湯に浸かって出ようとすると、何と見知った顔が。杉原木三君です。
なんでも、9月から行われる地元密着型アートプロジェクトのため、空き家を掃除に来た、とのこと。びっくり。
彼とは4日のイベントでも一緒になります。

お風呂を出ると、予想していた土砂降りに。
玄関先で雨宿りしていると、またまた見知った顔の人たちが。
綾のシルバー人材センターの方々でした。やはり花火を見に来たのだとか。いやはや、宮崎狭いですなー

米良的風景。町の真ん中で子供達が川遊び、その横で釣り人が。

ここが花火会場。対岸の道路から打ち上げられます。って、近くね?

だんだんとひとが集まってきました。

この「やまびこ花火」、噂は聞いていましたが、凄い!
何が凄いって、近すぎます!(笑)
花火は小振りなのですが、本当に「目の前」で迫力、音共に凄い!
谷間に音が響き渡ります。なんと、音だけの花火もあり!

昼間はメチャクチャ暑かったのですが、夕立のおかげで夜は涼しく過ごせました。

本日の走行距離 85.6km
(トータルの)平均速度 14.7km/h

8月2日。最終日です。

ここまで実に400km超を走ってきてくれた、相棒。
パンクはもちろんメカトラブルもなく、質実剛健な頼もしい奴。
ちなみに、新品でおろしたブレーキシューは半分がちびってしまいました。

お尻のお供。Selle Anatomica Titanico
2代目です。初代はノーマル仕様でしたが、これはXという品番。
重量級の人向けに、皮が厚く作ってあります。
僕はそこまで重くはありませんが、耐久性を考慮して選びました。ノーマルよりはやや固めかな?という印象ですが、相性はバッチリです。

シューズも洗ってやらなくちゃ。
綺麗なほうずきです。

朝食をご馳走になり、8時出立。
今日はほぼ下り。もうすぐ、旅の終わりです。

西都市では早くも稲刈りが始まっていました。

11:35無事帰還。ひとりフィナーレ。おっし。今回も、いろんな人に応援していただき、お世話になり、ありがとうございました。
宿題も幾つか残りましたが、今はやり終えてホッとしていると同時に次はどこに行こうか、と画策中(^_-)
冒険は、自分でいくらでも創り出せますから。

今回の教訓。

それにしても、
田中陽希は、スゴイ。

マジでスゴイっすよね〜ヨーキさん
毎日テント担いで走る、なんて尋常じゃあ、ありまっせん。
200名山踏破、頑張ってください(^_-)

本日の走行距離 64.6km
総走行距離 470.29km
登山での歩行距離 15.7km
平均速度は最終日がずば抜けて早かったため、メーターが測定不能。

九州中央山地ツーリング二日目

さてこの日は“伝説の”「不土野峠(標高1069m)」を目指します。
何が伝説なのか、と言うと、これから目指す椎葉村は、「日本の秘境」として知られ、熊本県五木村、徳島県祖谷村と並んで称されます。そこに至る山越えは、必然厳しいものとなります。
かつての平家の落人たちが追っ手を逃れて、奥山に集落を作ったのです。
不土野峠はいくつか椎葉に至る峠道の一つであり、昔からツーリング愛好家の中では「手強い」と有名でした。ちなみにシクロツーリスト誌vol.2峠100選では、堂々の四つ星評価となっています。

そんなこんなで緊張の朝を迎えました(笑)
5時起床。珈琲を淹れて、パン食です。
この日はキャンパーは僕だけ。雨の心配があったので、炊事場の屋根の下です。

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次第に夜が明けて来ました。 空は雲で覆われていますが、そんなに厚くないので、持ちそうです。しかし、山の上では天候は急変するので、早めに越えてしまうことにします。touring14_08_2003 touring14_08_2004

7時出立。
キャンプ場からR219まで下り、交差点をそのまま直進。湯前から矢立高原を経由して椎葉に至るR388に出る。
水上村役場前から、いよいよ県道142号線へ。
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しばらく行くと、市房ダムへ。
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ダム湖畔を快適に進みます。
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1時間ほどで、最後の集落古屋敷に到着。
遠目にパンツのように見えるのは気のせいです。
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休憩後、さて不土野峠を目指します!
が、直後にまるで空に向かって行くかのような坂を目にすることになります・・・

ここは激坂を上り終えたところ。ここまで約2キロ。ここからは比較的緩やかになります(といっても急坂には変わりない)。touring14_08_2010

しばらく行くと名も無き滝が。こんな風景に出会うと、苦労して来た甲斐ががあるというものです(^_-)touring14_08_2011touring14_08_2012

だいぶ登って来ました。touring14_08_2013   下に見えるガードレールのさらに下、あの民家から登って来ました。touring14_08_2016雷は大丈夫そう。
登りが長いので飲み水が心配ですが、峠直近まで沢があります。
水よりも、補助食は必携です。
“伝説の”は伊達でなく、それなりの脚力と根性は必要です。ただ、湯前から椎葉までとすれば、初心者でも押しを覚悟すれば一日で行けます。

touring14_08_2015 touring14_08_2014「不土野小学校まで8キロ」こちらはまだ熊本県側。こんなところから通っていたのでしょうか?!?!?

touring14_08_2017 touring14_08_2018「幾山河越え行かば寂しさの果てなん国ぞ今日も旅行く」若山牧水

出立より3時間,ようやく念願の不土野峠に着きました!
涼しい風が気持ちいい!というより、寒くなって来た・・・

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touring14_08_2021椎葉側にしばらく下ると、赤い鉄橋があります。

touring14_08_2022今日は椎葉泊まりの予定だったので、ちょっと早いなあと思い、豆腐で美味しいと評判の盛田屋さんに寄りました。たまたま看板見つけたので(^^ゞ

HP見ると、そのおしゃれぶりに驚きですが、お店は不土野地区の山奥、築百年以上はあろうかと思われる古民家です。
「食べれますか?」「食べれますよ〜」とご馳走になりました。
僕は結構、豆腐にはうるさい方です。
唐津の修業時代には、中里隆先生の肝いり、川島豆腐さんを食べつけていましたし、綾には「安くて美味しい」徳丸豆腐さんがあります。
しかし、この盛田屋さんの豆腐、絶品です!醤油、薬味なんかいりません!まじうま!
生き返りました(^_-)

不土野地区からの下りはそんなにありません(笑)あれだけ登ったのに〜
この看板は、不土野橋にあったもの。 touring14_08_2023

途中には全国的に有名な民謡の一つである「ひえつき節」の碑が。touring14_08_2024

上椎葉集落の入り口には、日向椎葉ダム湖があります。 touring14_08_2025 touring14_08_2026

さて、今回の目的の一つ、「椎葉山の語り部」さんに到着しました。
ここのご主人、中瀬浩視さんが52歳の若さで急逝されたのは昨年の9月のこと。
10年くらい前に、情報誌「みちくさ」主催の異業種交流会で初めてお会いし、それから機会がある度にご一緒させて頂きました。
一度椎葉に遊びに来ないよ、はい、行きます行きます!とお約束し、去年の夏に椎矢峠越えで椎葉でも行こうかと思っていたのですが、果たせずにおり、突然の訃報に本当に驚くやら、無念やら。
今年こそはお線香だけでも上げさせて頂こう、と決意したのでした。touring14_08_2027現在はお母さんとお嫁さんで切り盛りされています。
お昼はここのお蕎麦をご馳走になりました。
これまた、まいう〜!椎葉は焼き畑で有名で、その蕎麦は絶品だとは聞いていましたが、大満足(^_-)

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お母さんとたまたま居合わせた、近所のおばちゃん。
浩視さんの話に、ついつい長話になってしまいました。突然訪れたのに関わらず、ありがとうございました。本当に、お世話になりました。
出掛けていたお嫁さんも帰ってこられ、久しぶりにご挨拶できました。

今夜の宿は、村営の観光者専用駐車場。
夕暮れ時には、谷間にヒグラシの声が響きます。
この日の走行距離56キロ。

話しておきたいことは、今、話しておこう〜思い出のiPhone〜

 今年は「異常」という言葉も霞んでしまうかのような夏!でした。
皆様、お変わりありませんか。
 9月に入り、ああ、涼しくなってきたなあ、秋だなあ、と思って気温計を見ると30℃。あはは。

 ところでこの原稿を書いているのは9月24日の夜。今月に入ってから、親しい人の訃報が立て続きに僕を襲い、日常の中に何やらボーゼンとした部分をはらみながらパソコンに向かっております。

 「椎葉山の語り部」代表の中瀬浩視(なかせひろみ)さんの突然の訃報が飛び込んで来たのは10日のこと。中瀬さんは年齢が確か僕の2、3つ上で、本当に信じられませんでした。宮崎山形屋での物産展の案内の葉書を頂いたばかりでした。その催事の最中に倒れられた、ということでした。
 中瀬さんとのお付き合いは、10年ほどになるでしょうか。初めは、確か無料情報誌「みちくさ」主催の異業種交流会だったと思います。その後、札幌東急での催事でご一緒させて頂いたり、綾の工房に寄って頂いたり、県庁前の物産展にお邪魔したりと、2年に1度くらいはお会いしてバカ話をしていたように思います。
 椎葉に遊びに来ないよ、いやあ、行きます行きます!と半分本気で言っていたのに。今年の夏こそ、自転車で人吉周りで伝説の不土野峠越えして椎葉に行こうと計画までしていたのに(実際は、メンバーの希望により尾鈴キャンプ場に変更)。
 なんてことでしょう。大きな体格に似合わず、性根の優しいスケベなアニキでした。合掌。

 17日は、尊敬する都城の叔父の葬儀でした。四人姉弟妹の一番上である母の、末の妹のダンナ様。本当に、怒ったところが想像できないくらい優しい人でした。
 高校の英語教師をしていた叔父は、僕が高校生の頃に夏休みの課題で書いた読書感想文を、審査員として読んだことがあったそうです。のんびりした(と言うよりちょっと天然な)叔母と、よく仲良く旅行に行っていました。透析をしていたため、無理なことはできなかったようですが、それでも孫が中学の卓球部に入れば、卓球好きの自分の出番とばかりに部活に出向いてコーチをしていたようです。
 その他にも詩吟や釣りをしたりと多趣味な叔父でした。血の繋がりはなかったものの、自慢の叔父でした。享年68歳。まだまだいろんなことを教えてもらいたかった。

 叔父の告別式の二日後。午前11時前だったでしょうか。叔父の一人息子、つまり僕の従兄弟から電話がありました。
 叔父の通夜にも来て頂いていた髙野哲(さとし)先生が倒れられて病院に運ばれたと。先生はまだ現職。まさか。

 髙野先生は、従兄弟の長女、小松原中卓球部だったSちゃんの顧問でした。なぜその一報が僕に?

 実は、今から32年前、延岡市立土々呂中学生になったばかりの僕の担任が、髙野先生でした。先生も教師2年目、初めての受け持ちのクラスで、その後生徒会、3年時の担任と僕とは浅からぬ縁を持った方でした。

 それだけではなく、僕に音楽を教えてくれた恩師です。教えてもらった、といっても音楽の教師だった訳ではありません。理科の先生だったのですが、その頃ラジオで洋楽のロックを聞き始めた僕らに、学生時代バンドをしていた先生からの情報は、今のようにインターネット何ぞはなかったころの話ですから、とても興味津々に伺ったものです。
 例えば、当時ラジオのヒットチャートを賑わしていた「エイジア」というバンドがあり、そのファーストアルバムを録音した90分のカセットテープを先生からお借りしたことがあります。そのエイジアも結構好きだったのですが、B面に入っていた聴いたことのないバンドの方が僕は気に入ってしまったのです。
 それは「キャメル」というバンドの「シングル・ファクター」というアルバムでした。エイジアと違い、こちらはヒットチャートとは無縁の、一部のファンが喜ぶだけのもの(とは言っても、イギリスのバンドで日本盤が出るくらいですからそれなりの知名度はある)でした。

 思春期に入ったころの僕には、そのキャメルのどこか憂いを帯びた旋律に心が震えるようでした。そして髙野先生のフェバリットバンドがキャメルだったのです。

 それからなけなしのお年玉でキャメルのレコードを集めるようになり、先生からもキャメルに限らずレコードをお借りしたりしていました。
 ロックを聴き始めてすぐに、ヒットチャートの曲では飽き足らずに、主に70年代のロックを聴くようになって行きました。イエス、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、ウィッシュボーン・アッシュ、エレクトリック・ライト・オーケストラ、タッチなどなど。そういえば、チューリップの「Someday Somewhere」も借りたなあ。

 そしてキャメルは今でも僕が大好きなバンドです。もう10年くらい前になりますが、大阪でのライブにも行きました。

 先生は鹿大理学部の地学科のご出身でした。僕は現在陶芸家ですが、実は大学までは生物学者を志していました。それを決めたのは中学校時代。先生の影響は否定できません。

 また、その頃父親が宮崎に単身赴任していたこともあり、丁度ひと回り上の先生は、兄貴でもあり父親でもあるような存在でした。ずいぶんと、甘えさせて頂きました。僕らが中学を卒業すると同じくして、先生は東郷町坪谷中に赴任されました。
 高校2年の夏休み、自転車での阿蘇への野宿ツーリング初日に、先生のお宅に泊めて頂きました。その後は、僕が宮崎を離れたこともあって、疎遠になっていました。

 2年前、延岡市伊形の悪友のところに遊びに行っていたとき、酔っぱらって「先生に電話してみよう」ということになり、夜遅くだったに関わらず先生宅にご連絡したことがあります。本当に、久しぶりだったに関わらず、昔のように「おう」と応対してくださいました。その時に「遊びに行きます」とお約束したのでした。

 その年の11月恒例の「綾工芸まつり」。突然、先生が会場にお越し下さいました。驚きましたが、感激したのは言うまでもありません。ちょっと髪は薄くなったものの、昔の面影そのままでした。が、さすがに「もうバク転は出来んわ」と言われてましたが(笑)

 そして次の年は約束は叶わず、今年になってようやく都城へ遊びに行くことが出来ました。8月7日のことです。奥様にお会いするのも28年ぶり、その時はまだ最初の娘さんが生まれたばかり、今では四人の孫のおじいちゃん。夜中過ぎまで牟田町の「グリーンベル」というスナックで、70年代のロックのカラオケを二人で歌いまくったのでした。

 それなのに。

 従兄弟から電話をもらって小一時間くらいたってからでしょうか。工芸まつりにも一緒に来てくれた先生の長女さんから、「早朝に亡くなった」と連絡をいただきました。9月20日の昼のことです。
 それから同級生に連絡を廻すのに謀殺されました。昔のことなのに、先生を慕う教え子は僕だけではありませんでした。

 式には同級生3人で出席してきました。
 宮崎市内から車を出してくれた、1の9のクラスメイトでサッカー部で一緒だったK。僕が車に乗り込むなり、「お前を恨めしく思った」と言い出します。
 「?」身に覚えのない僕に、「散々並んでやっと手に入れたiPhone。一番最初の電話がお前じゃった」
 どうりで着信が鳴ったとたん、電話に出たはずです(笑)彼はiPhoneを見るたびに思い出すことでしょう。

 式には、本当に大勢の弔問客が来られていました。先生のお人柄が偲ばれます。神式だったのですが、玉串奉奠が1時間でも終わらなかったのですから。

 ところで、21、22日の二日間、国富町の法華岳公園で「ホッケストック」が開催されたことはご存知でしょうか?今年で17回目になる野外ライブイベントです。
 実は僕もバンドで出演しました。21日のトップバッターです。先生の通夜に出掛ける数時間前です。
 この日演奏したのは、オリジナル曲を含め3曲。最後がピンク・フロイドの「あなたがここにいて欲しい Wish You Were Here」でした。

 先生に聴いて欲しかった。一緒に歌いたかった。叔父にも聴いて欲しかった。中瀬さんと、もう一度酒を呑みたかった。

 叔父の告別式、孫のSちゃんが弔辞を読みました。その中で、「じいちゃんが生きている時に、ごめんなさい、ありがとうを言っておけばよかった」と涙ながらに読んでいました。そうでしょう。まだ中学3年生の彼女は、いつも優しくしてくれたおじいちゃんがいなくなるなんて、思ってもいなかったでしょうから。それは私たち大人でも同じです。

 言える時に言っておく。話せる時に話しておく。会える時に、会っておく。人は生きている以上、必ず死によって別れが来る訳ですから、人との縁を本当に毎日大事に生きて行かなければ、と改めて思った平成25年の長月でした。

本当にありがとうございました。安らかにお休みください。