ごあいさつ

<陶房八十一(やそいち)>窯主、興梠智一Tomokazu Kourogiと申します。
有田、唐津と修業に赴き、生まれ育った土地、宮崎で、焼き物を始めました。 もともと宮崎というところは、焼き物には不適切な(つまり良い陶土が採れない)ところです。しかし、豊かな自然と、少々のんびりした人柄の、ホッと一息つ けるような雰囲気を持った場所です。
そんな宮崎らしさを、私なりに焼き物で現せないかと日々作陶に励んでいます。

宮崎では、現在たくさんの窯元が活躍されています。伝統的なものから前衛的なものまで、これまで焼き物の伝統のない土地で、それぞれ独自の世 界を切り開いていらっしゃいます。 私も、宮崎生まれの宮崎育ちなので、どうせやるなら今までにない、宮崎ならではの物を作りたいと考えていました。
まず、単純に地元の土を使えないかと考え、調べたところ、耐火度が低い瓦粘土は産出することが分かりました。そこで、いわゆる南蛮焼と呼ばれる焼締ならで きるのではないかと考え、唐津・中里隆先生の門を叩いた次第です。

私のデザインに対しての基本的な考え方 2005.2.21

蹴ろくろ(足で蹴って回す方式のもの)を用いて、主に「白さつま」の土を使用した作陶をしております。「白さつま」の土は、磁器に近い感触を 持っています。有田では磁器土を、唐津では赤土を経験していたので、この土を用いることで、磁器でも“土もの”でもない、私独自の物が作れるのではない か、と考えています。
ろくろや土に対する考え方は、有田と唐津では全く別物ですが、それらをうまく自分の中で消化したい、と考えています。

ろくろに関する考察 2005.8.5

窯は電気とガス窯を用いております。地元の土を使った焼〆を、将来的には蛇窯(古い型の薪窯)でやりたいと考えております。

「黄亜椰・青亜椰(きあや・あおあや)」は、現在炭化焼締の胎土として用いている地元の赤土を、釉薬の原料として使ったものです(胎土には白 さつまを使用)。これらも今後、「宮崎ならではのもの」に成長させていきたいと考えています。
​ これら以外にも、わら灰を主原料とした「わら白釉」の作品も手掛けております。こちらは「白さつま」の土とは対照的に、様々な土と組み合わせることで、多様な表情を出し、主に主婦の方に、普段使いの食器として好評を頂いています。

個人的な焼き物の嗜好としては、李朝や、長次郎を好みます。表千家を修業中です。

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